【創造的休暇】心が巡る時間 デザイナー 皆川 明
この度の創造的休暇というテーマでの宿泊体験のご依頼は
そのコンセプトの面白さになるほどと思う納得感と同時に
自分がその時間を得た時に
実際そのような創造的な時間、
又は出来事が起こり得るだろうかと
やや疑問だった。
このコロナ禍以前は
毎年6月頃一ヶ月程北欧へ出かけて
まさに予定無しの時間を過ごしていた。
その期間でも一週間ほどは現地でのリズムが気ぜわしくて
落ち着かないのですが
その後ようやく場に漂う気のままの心持ちになって
そこからは小さな出会いや気づきから
アイデアが気泡のようにふつふつと湧き始める感じだ。
そうなると
心は好奇心のままに行動と結びつき
無意味な躊躇は消え、
目の前の出会いや機会に
自然と向き合おうとし始め
ようやくそこからが休息の時間になる。
そして目に映るものに
能動的な態度が自然な形で現れ、
思いつけば
その場で航空券を予約して
知らない土地へも移動を開始する。
全ての好奇心が不安を越えて
行動が自転していく感覚になっていく。
ひとりで行くのはそのペースを保つ為だ。
その方が心と会話しやすく
疲労や思考と向き合いやすくなる。
そんな時間を
このコロナ禍で過ごせなくなる中で
今回のお話を頂いた。
前述したように
心持ちが整うのに少し時間がかかるから
この二、三日の旅程の中でその状態を作れるだろうかと思いながら
それでも意識的に創造的休暇と思って過ごしてみることに関心があった。
初日は15時くらいに宿に到着して荷物を置いて
先ずは散歩に出かけることにした。
日常の仕事のリズムから離れる為にも。
歩く速度も
思考も
ゆっくりと。
出会うという感覚は
出会うべきものがそこにあるのではなく
意識の隙間を通り抜けるカケラのようなものが
たまたま脳裏に引っかかるようなものだと感じている。
その引っかかったものを
そっと摘んで眺めていると
むくむくとそのカケラが頭の中の空想と繋がって
今までの何かと結合して
おぼろげな姿となるような
そんな感覚かもしれない。
数ヶ月前に奈良に来た時に
一度立ち寄ったカフェまでとりあえず歩いて
その間に自分のこれからを
ぼんやり思いつくままに思い浮かべてみる。
ただのんびりしてるだけで
これは創造的かと思いながらも
今回何も起こらないのも
また私であると思いながら。
目的がなくても動いていれば
何かが起こり
何かを思考し
何かを想像する。
カフェの店主のお母さまから手作りジャムを頂いた。
小さな出来事も
旅では澄んだ記憶になる。
その足で駅の方へ向かい
商店街を歩いていると
白雪ふきんのオーナーの奥様とばったりお会いした。
前回、奈良に来たのは
白雪ふきんさんを訪ねる目的だったので
ここでばったり会うのも変化の兆しだった。
ひとりどこかで食事を済ませようと思っていたが
オーナー夫妻が夕食にご招待いただき、
その後遅くまで時間をご一緒いただいた。
お互いの仕事や考えを共有できたことは
日頃の打ち合わせでは得難い時間で有り難かった。
それでもこれが創造的休暇なのかと言えば
そうではないのだろう。
でもこの予定外の時間が生まれる場の中に入ってきた感覚は
何だか面白いと感じた。
そもそも創造的休暇とは何なのだろう。
それを目的とした時に
その答えが見つかるのだろうか?
抱いていた疑問がまた湧いてきた。
でもその疑問はここへ来るまでとは少し違う
穏やかでそして安気な気分の中にあった。
翌日は朝食後に奈良公園へ散歩に出ることにした。
1時間ほどベンチに腰掛けて本を読み
こちらを見る鹿の親子と時折り目を合わせているうちに
静かに流れている時間が
身体に馴染んできたのがわかった。
今日は只々歩いてみようと決めて
心がこの静かなままに過ぎるように
目に映るものをゆっくり見ては
頭の中に反芻させてまた歩いた。
通りすがる人も
蝉の声も
町の古い看板も
微かに触れるように
記憶されていくのがわかる。
夕方に商店街のアーケードの2階に
カフェがあるのに気づいて入った。
そこにあった民俗学的な本を読み
僅かなタイムトリップをしながら
しばらく過ごした。
このカフェに気づいたことで
心がだいぶニュートラルになっているのがわかる。
目的から解放された時に生まれる
偶然を含んだ時間になっているのを感じたからだ。
あと数時間で何か起こるだろうけど
それは創造的とはまた違うのだろう。
それでも
今のこの時間の延長線上には
もしかしたら創造的何かがあるのかもしれない
とも思えた。
帰り道
もう閉店時間間際のアンティークショップを見つけて
滑り込んでみる。
最初に目についたのが
僕がコペンハーゲンのアンティークショップで見つけた
ジョージ・ジェンセンの鳥のペーパーナイフだった。
お店にはそれ以外が概ね日本の骨董だったから
それが目に飛び込んだのかもしれない。
それにしても
そのペーパーナイフは
僕の北欧の旅で出会った中でも
大切なものだったから
この奈良での出会いに驚いた。
今回自分が北欧での休暇とどこかで比較していることとが
リンクしているような気がした。
それでも
あまりこじつけて意味を持たせたくなかったので
ただ心地良さを素直に感じながら
店を後にした。
何故だか夕食を取る気にならず
そのまま夕暮れの中をまたしばらく歩き
紀寺の家に戻って風呂に入りぼんやりしながら
この二日間で企画していただいたような
創造的な休暇には至らなかったけれど
久しぶりに自分の心とずっと一緒に過ごせたような気がして
うれしかった。
旅や休暇で大きな気づきやアイデアが浮かぶとは限らないけれど
その時間が心を解したり
自由にしてあげる事はできる。
そうしたら
心が目的に縛られずに
思いもしないことと出会うかもしれない。
これから
そんな時間を人生でもっと持ちたいと思うに至ったのが
今回の僕の奈良での時間だった。
今日は15キロ歩いたようだ。
歩いた分をなぞりながら
日頃ならば見落としているだろう
細かな町の表情が浮かんできた。
この微細な景色が
これからどうやって記憶としてトレースされ
仕舞われていくのか楽しみだ。
もしそのことが
何か大きな気づきとなった時には
ぜひお知らせしたい。
デザイナー 皆川 明
写真:「通り庭の町家」
撮影:okuyama haruhi